71年前の今日は、長崎に原爆が投下された日です。
一瞬にして罪のない多くの命が奪われ、
今もなお後遺症に苦しむ人々がいます。
犠牲になった方々への御霊に謹んでご冥福をお祈りします。

私は長崎市生まれ、育ちは長崎市を含む県内各地です。
私の母を含む、母方の家族も長崎出身です。

ところが、母方の親族に原爆後遺症で苦しんでいるという話が一切出てこない。
本当に実害はないの?と思い、真相を母に尋ねました。

原爆が投下された当時、満州国に住んでいたため長崎にはいなかった。
母の祖父母(私からみて曽祖父母)の家は長崎市郊外にあり、爆心地より25km以上離れていたため、難を逃れている。

終戦と同時期に満州国は消滅。
その後、長崎市に移り住んだ場所は爆心地から約1.8km。
山の向こうだったため、比較的被害が少ない地域だった。

そっか、無事だったんだ…

ただし、原爆後遺症に苦しむ同級生が数名いたとのこと。
妊娠中の母体が被爆し、胎児にも影響を及ぼした例をみたと。
その子は出生するも後遺症で幼くして亡くなったという話を聞かされました。
また、母の卒業アルバムの集合写真に頭髪の抜け落ちた女子学生が写っているを見て衝撃を受けました。

ここで長崎原爆に関わることで押さえておきたいことをふたつ、記事に取り上げることにします。

まずひとつめ。

当初、原爆は福岡県小倉市(現・北九州市)に投下する予定でした。
第一目標地点の視界不良のため、第二目標の長崎に変更されたのです。

この視界不良の件を、もう少し掘り下げてみましょう。

天候を理由にあげているところが多いようですが、それが事実ではないとうこと。
小倉への原爆投下を断念したという経緯があるそうです。
陸軍守備隊が激しく応戦することで煙幕ができ、上空より目標地点を目視できない状態になったためです。

こちらのブログに詳しい記事が書かれています。
 icon-link ねずさんのひとりごと 『今日は長崎に原爆が投下された日』

ふたつめ。
爆心地から約800メートル、
山王神社にある『被曝クスノキ』

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被曝し熱線を浴びながらも緑を取り戻した大楠です。

また、この付近に住んでいた住民の175世帯のうち家族全員が生き残ったのは神社の1世帯だけだそうです。
クスノキ共々、神の力に守られたのでしょうね。

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子どもにも伝わりやすく書かれています。
ずっと大切にしていきたいですね。